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まっかちゃんの由来
 まっかちゃんのホームページの主の名は「正克」と申します。親の話しによると、「克」は「勝」よりも強いんだそうです。
 1968年4月に会社勤めをした時に、配属先の部門長が「まさかつ」の名から私を「まっかちゃん」と呼んだのが始まりです。他に「まーちゃん」と呼ばれることもあります。もう「まっかちゃん」や「まーちゃん」という年ではないのですが、今も時々呼ばれますし、私自身も気に入っていますのでホームページ名にしました。
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プロフィール
 1943年2月6日、東京は神田で生まれました。祖父が千葉から出てきて神田錦町で米屋を開業したそうなので、三代目の私は「江戸っ子」ということになります。
 千代田区立神田幼稚園(現 千代田幼稚園)、千代田区立神田小学校(現 千代田小学校)、千代田区立一橋中学校(現 神田一橋中学校)と神田で学びました。中学時代は水泳部に所属していました。1958年4月に東京都立第一商業高等学校に入学し、3年間神田から渋谷まで通いました。高校時代は陸上競技部に所属していました。高校三年の時は大学進学を目指す進学クラスでした。1961年3月に高校を卒業しましたが、親のたっての希望で大学進学を諦め家業の米屋に就職しました。
 米屋の仕事をしていた時、偶然に電車の中で富士学院(フジテレビが経営する電算機学校)の広告を見ました。コンピュータって何だろうと気になり、いろいろと調べました。その結果、「コンピュータはこれから社会のいろいろなところで使われるようになる、そして私の天職になるだろう」との確信を持ちました。その頃、米屋という職業の将来性に疑問を持っていたこともあり、富士学院(夜学)に入学しました。1年半程、河田町(フジテレビの中に富士学院があった)に通いましたが、2年目は奨学金を貰ったので授業料はタダでした。
 1968年4月に大手電機メーカーのグループ会社に入社しました。入社する1ヶ月前に親に打ち明けたのですが、親にとってはショックだったと思います。後を継いでくれると思っていた息子が突然に転職を宣言した訳ですから、親不孝そのものです。しかし、その後の世の中の動きを見ると、私の判断は間違ってはいなかったのです。
 ソフト開発をしたくて入社したのですが、最初に配属されたのは電算機用品を販売する部門でした。初任給が手当込みで25,500円でした。コンピュータで使用する備品や消耗品を売っていました。しかし、入社3年目の時に磁気テープの乱売合戦に巻き込まれ業績が悪化したために、部門の人員規模を縮小しなければならなくなりました。転属希望を募ったので希望を出し、1970年12月にソフト部門へ移りました。その時27才で、ソフト技術者としては遅いスタートでした。最初は通信関係のソフトを担当し、ミニコンや通信制御用コンピュータを使ったオンラインシステムの開発を行いました。その後、事務処理系のソフトに携わりました。1985年1月に関西へ転勤、1989年4月に関西地区のグループ会社へ出向し、6月に取締役に就任しました。
 1991年4月に本社の半導体設計部門の技術部長に復職しました。復職当時の半導体設計部門は業績が悪かったのですが、少しずつ改善してやがて会社一の利益を出すようになりました。1998年3月に役職定年に伴いグループ会社へ出向、6月に取締役就任、7月に転籍しました。転籍後は、半導体設計部門の責任者として会社の事業拡大・発展に努めました。2002年6月に取締役を退任し嘱託となり、2003年2月に定年退職しました。
 仕事はいつも大変でしたが、自分のやりたい仕事ができて本当に幸せな人生だったと思います。今後は元気で、少しでも社会のお役に立てればと思っています。
 1973年10月に結婚しました。30歳でした。
大阪移住(2005年11月25日)
 11月25日、大阪へ移住しました。1991年4月に東京へ転勤となり、それ以来東京で単身生活をしていました。息子夫婦と生後5ヶ月半の孫に見送られ羽田空港を発ち、夕方に妻の待つ自宅へ帰宅しました。

2025年

服部天神宮神津神社令和6年度確定申告82歳の誕生日

82歳の誕生日(2024年2月6日(木))
 極寒の日に82歳の誕生日を迎えました。
 永年患っている脊柱管狭窄症のために歩くのが遅くなり、歩数も少なくなりました。転倒の危険もあります。年齢が年齢なので現状維持に努め、悪くならないように気を付けます。体調に注意して元気に毎日を過ごしたいと思います。

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令和6年度確定申告(2025年1月29日(水))
 国税電子申告・納税システム(e-Tax)を利用して令和6年度分の所得税確定申告書を作成し、電子送信しました。「生命保険料・地震保険料等の支払額を証する書類」、「寄附金の受領証等、寄付金控除に関する書類」の提出を省略できます。
(追記)2月21日に国税還付金が入金されました。

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神津神社(2025年1月5日(日))
 5日午後、妻と二人で氏神の神津神社をお参りしました。
 神津神社は明治42年(1909年)に、旧神津村の小島(こしま)、木川、野中、新在家(しんざいけ)、堀上(ほりがみ)、今里、堀の七ヶ村の氏神を小島村(現在の十三東)の村社八幡神社を中央適当地として合わせてお祭りしたものです。
 三が日が過ぎたとはいえ、参拝者が少なく露店もなく、とても寂しく感じました。
神津神社本殿2025年

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服部天神宮(2025年1月2日(木))
 2日に、妻と2人で阪急電鉄宝塚線服部天神駅近くの足の神様・服部天神宮をお参りしました。
 服部天神宮は「脚気天神」「足の神様」として広く信仰があります。毎年、服部天神宮をお参りし「健脚健康草履守」を授かっています。
妻は2018年に自転車で横転して「左大腿骨頚部骨折」と診断され、「人工骨頚部置換術」の手術を受けました。私は長年脊柱管狭窄症を患っており、両膝から下がしびれています。最近は歩行速度が遅くなり、外出時は杖を持って出ます。
服部天神宮2025 ジャンボ絵馬

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2024年